きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

ネガティブでポジティブ

ポジティブ人間に見られていることを自覚している。
ポジティブな人間だと、明るい人間だと思われたい。
その方が「良い」という価値観ができてしまったいる。(ほんとうは世の中に良いも悪いもないのだけれど)



それでもやっぱり根底はネガティブだ。
「〜したらどうしよう」
「〜してしまうかもしれない」
「〜だと思われてしまうかもしれない」



ネガティブ妄想は無限だ。



でも、「ある」のは自分の目の前のたったひとつの「ある」だけ。
それはとてもニュートラル、中立的なもの。



「ちょ、待てよ」とキ〇タクを登場させて一呼吸おく。


まっすぐにものごとを見る。
(ここまで回復できないときは、放置できるとこなら一旦放置プレー)


「ある」をそのまま見る練習中。



ネガティブも妄想が進みすぎて、
「最悪こうなったらこうしよう!」
というとこまでいくとむしろ無敵(笑)
怖いものなし(笑)



非現実的なものも多いので、
「それってネガティブなの??」
と思われるものや
むしろネタ的なもの、笑えるものも
多いかもしれないけれど。


ネガティブだからポジティブであれるんだ。
なんだかよく分かんないけどそんな気がした。




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今を試す〜パンの水分量のお話〜

私が個人的にいちばん好きなパン屋さん
『タルマーリー』さん。

もうこのパン屋さんの「菌」の強さには
驚かされる!!!

感覚的なんだけれど、
酵母」という言い方よりも
「菌」という言い方の方が
タルマーリーさんにはしっくりくる。

そして今回久々に
タルマーリーさんのパンを頂いてみて
思ったこと。

①2〜3日経っても水分がしっかり残ったむっちり食感
②粗めに挽いた小麦の風味の豊かさ


もう本当になんというかさすが!で、
私も実験意欲が湧いてきた♪♪



まずは①に関係するであろうと思われる水分量から。

カンパーニュの水分量を10%増やしてみました。

焼きたてを食べたい気持ちを抑えつつ、
粗熱がとれてから袋に入れて、室温保存。

そして焼成から4日後、
わざと日数を置いて食べてみる。

比較のため、1日遅れで焼いた
通常の水分量のカンパーニュも試食。

両方スライスして、あえてトーストせずにそのままで。

今回、店長にも試食の協力を依頼。
(なんとパンに合う「夏野菜のピリ辛スープ」まで作ってくださる神対応😳💕)


店長
「こっちの水分量10%増のカンパーニュの方が通常のカンパーニュより若干、水分少なく感じるけど、1日早く焼いたから仕方ないよね〜」


「ほんとですか!!?店長が思ってる方と逆ですよ!笑 1日早く焼いても水分多く感じられるなら完璧ですね✨」


***


カンパーニュって1年ほど前、
本格的にパンを練習し始めたときに、
最初に取り組んだパンなんですよね〜。

その頃は通常の水分量でも
ベタつくように感じて
形をまとめるのに一苦労。

ようやくまとめても、
理想の高さが出なくて
ひらた〜い感じになっちゃって。


1年経った今、
さらにそこに10%増の水分を加えて作る。
でも余裕で成形ができた✨


ちゃんと上達できてるんだと実感できて嬉しい。


あと、前だったら上手くいかなかったことも、
今だったら上手くいっちゃう!ってこともある。


いつだって全く同じことはなくて、
自分だって変わり続けている。


だから、今を楽しんで試していこう!



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左:水分量10%増のカンパーニュ
右:今までの水分量のカンパーニュ

見た目じゃわかんないけど、
カットした時の柔らかさも違った感じがした!?

じっくり待つと良いこともある???

私はパン作りをする時に
17時間以上、じっくりと長時間発酵をさせています。


自家製の天然酵母を使っているので、
発酵に時間がかかるという理由もありますが、
長時間発酵は美味しいパンができる!
と思っているからです。


4年くらい前に
「短時間発酵でできる!簡単パン!」
みたいなレシピをネット上で見つけて
作ってみたことがあります。


記憶ですが、イースト菌を通常の倍量以上入れて、生地をレンチンして温めて、とにかく最速で発酵させる、というもの。


確かにめっちゃ早くパンはできました!
ちゃんと膨らんでました!
…がしかし、強烈なイースト菌臭(><)


主観ですが、イースト菌はきちんと発酵させて焼くと香ばしくて良い香りになるのですが、発酵前のイースト菌は納豆に煮たにおいがする気がします。


「早い!簡単!旨い!」という
主婦の味方のレシピは多くありますが、
ほどほどにしないと、「旨い!」は実現できないんだな〜と学びました(笑)
(ちゃんと研究すれば、実現できるバランスが見つかるかもですが)



冒頭で「長時間発酵は美味しいパンができる!」と書きましたが、
なんとなくの感覚でしか掴めていなかったので、
「どうして長時間発酵させると美味しくなるのか?」を調べてみました、


●長時間発酵が美味しくなる訳

・ゆっくり発酵させる=発酵に必要な酵母が少なめで大丈夫!
→発酵のために必要な小麦中の糖分も少なめで大丈夫!
→糖分(=旨み)が残った状態で焼き上げることができる!

・長時間、生のまま置くことで、小麦の芯まで水分がしっかり行き渡る(お米でいうところの浸水みたい?)。また、焼きあがった後も、しっとり感が長続きしてパサパサで硬いパンになるのを遅らす。


ほかにも長時間発酵させることで、
酵母や小麦そのものにも良い変化が起こっているような気がするのですが、
そこはまだそんな気がしてるだけ(笑)なので、
また分かった時に書くことにします。




甘えなのかもしれないけれど、
「早さ」だけが求められることではないし、
「答え」は見つけていけばいい。


見つけたいもののタネをまいて
じっくりゆっくり待ちましょう。




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見方を変えて世界を変える〜菌と発酵〜

すごく壮大なタイトルをつけましたが、
かなりお久しぶりのパンのお話です(笑)


●そもそも「発酵」とは?

パンだけに限りませんが、
「発酵」と「腐敗」が同じ現象であると
数年前に知った時は衝撃でした!

だって、発酵っていったら、
・体にいい
・旨みが増す
・おいしい
っていうイメージがあって、

腐敗ってきいたら、
・お腹を壊す
・不味い
・臭い
っていうイメージ。

「発酵と腐敗って同じですよ〜」って言われても、
絶対、腐敗の方は食べたくない!笑
(というか食べちゃダメ(><))


でもこれって私たち「人間」から観た世界なんですよね。

「菌」たちからみると発酵も腐敗も同じことなんだそうです。


その現象に携わっている菌が人間にとって
「良いものか/悪いものか」
その切り口で同じ現象が
「発酵/腐敗」に分けられる。


話は変わりますが、
今日はとっても暑かったので
差し入れのアイスをいただきました*\(^o^)/*


なんと私が唯一嫌いなチョコミント味!!
(私は好き嫌いがほとんどありません)


一口だけいただいてみたけど、
一口だけで十二分にお口が爽やかになりました〜(笑)


この出来事について、
「ドンピシャで唯一嫌いなものを持ってくるなんてすごい!」と思って、
自分では買わないから久々に食べてみたら、やっぱり苦手なことを再認識して、
私としては「面白い」と思えた。

でも、人によっては、
違う気持ちを持つ方もいらっしゃるかもしれませんね。


「同じ現象でも見方によって世界が変わる」


菌からみたら、人間は身勝手で面白い生き物なのかもしれません(笑)



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あした死ぬかもよ?

ひすいこたろうさんの
『あした死ぬかもよ?』という本を読んだ。


読み始めたらその翌朝に
仲良くなった猫が車に轢かれて亡くなっていた。

お散歩コースで出会った猫で
3回に1回くらいの確率で会えて
すっごく人懐っこくて
アザラシみたいにゴロゴロしてる
毛が長いニャンコ。

ニャーニャー鳴きながら、
ゴロゴロ転がりながら、
撫でて欲しいところをアピールしてくる(笑)

勝手にニャー子と呼んでいた。


雨上がりで草に残った雨粒が
キラキラ光る気持ちの良い朝だった。


「今日はいるかな?」と楽しみな気持ちは、
一瞬でショックに変わった。


道路の脇にニャー子によく似た物体が
横たわっている。


「どうか、よく似たゴミであって…っ!」
と願ったけれど、
それは紛れもなくニャー子であって、
どうして猫なんてたくさんいるのに、
よりによってニャー子だったのかと、
不謹慎なことを思った。


まだ完全には硬くなってないけれど、
もう手遅れで、おそらく即死だったのだろう。
はじめて見る苦しそうな顔、
もう魂はここには入ってないのだけれど。


せめてもう轢かれませんようにと、
近くの安全な草の上まで運んだ。
たぶんこの子はいつもこのお家の前で会うから、
このお家の人に飼われているんだろう。
だからこうすることしかできなかった。



悲しくて、
朝からショッキングで、
泣きながら帰った。


『あした死ぬかもよ』の本の中にもあったように、
「どういうわけか、人は、
「自分だけは死なない」と思って」いる。



最近、同級生の葬儀に参加した彼が、
「自分がいつ死ぬか分からないということは
心に留めて日々を過ごしていたけれど、
まさか相手が死ぬことは想定できてなかった」
とこぼしていた。


私も死に疎い者の一人だ。



その日の呼吸法は、
ニャー子に捧げた。
そしたら最後には
「ありがとう」しか出てこなかった。

すーっと気持ちが落ち着いて、
その日予定していた楽しみも
そのまま実行した。

だって私はまだ生きているから。




『あした死ぬかもよ?』の中にでてくる質問に
紙に書き出して本気で取り組んでいった。


死ぬんだったら、と
言い訳や制限をとっぱらって
ワクワクしながら妄想を膨らませていく。


大切なものは身近なところにあって、
本当にしたいことは特別なことじゃない。


心地よい理想郷をつくりたい、と思っている。
今がそこに繋がっている。


答えを紙に書き出していったら、
さっそく上手くいったこともいくつかあった。

・ワクワク人生の事業計画を自分なりに作れたこと
・将来使う器を作りたい!と書いたら陶芸教室に誘っていただけたこと



どうせいつか死ぬのだから、
やりたいことをできるときにやっておこう。
身の回りの当たり前、
でも本当は有難いことを大切にしよう。



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好きな文具は

『 手紙屋 』さん
と私が出会ったのはいつだったか?

約3年前、社会人2年目が終わるくらいだった。

社会人になり、
昼休みの暇つぶしに本を読み始めた私に
はじめて本の面白さ、
そして人生の広がりを教えてくれた本だ。

この物語は、
どこにでもいそうな男子就活生が
手紙屋との10通の文通を通じて
大きく成長していく、というストーリー。


当時、私は今まで自分が知らなかった
考え方や世界の見方をこの本から教わり、
「うわー!就活する前に
この本と出会いたかったー!」
とモーレツに感じると同時に、
「まだ今からでも遅くない!」
と勇気や希望をもらえたことを覚えている。


部屋の整理をしていて、
この本が目に入り、
久しぶりに読み返してみた。


今思い返せば、
私も過去に手紙屋さんみたいなことを
やってみたこともあったっけな?
ということがポツポツある。


なんとなく「言葉」に対する興味というのが
昔からある。
最初は英語に対する興味みたいなもので、
それから外国語とか方言とかの
意味や考え方の違いといった文化や価値観的なもので。


便利なことに口は音として言葉を即効性をもって紡いでくれる。
と同時に、会話の波に乗れなかったり、
なんか上手く思っていることを言い表せなかったな、なんていうこともある。

LINE→メール→手紙という順に、
よく考えて言葉を紡ぐことができる、
と個人的には思っている。


前職で新卒の採用担当を任されていた。
みんなそれぞれ悩みがあって、
中には夢を持ってる子もいた。
キラキラと向かってきてくれる子たちに対して、
会話であれ、メールであれ、お手紙であれ、
真っ直ぐに向き合いたかった。


当時の私ができることを返した。
だから受け取ってくれた子たちにとって、
不十分なところもあったかもしれない。


偶然か必然か、
当時私はステーショナリー(文具)の
製造委託会社で働いていた。


可愛いものが好きで学生時代は
雑貨屋さんによく立ち寄ったものだが、
常日頃、文具に囲まれすぎると、
お腹いっぱいになってしまった私は
そこまで文具にかける情熱がなかったのかもしない(笑)


それでも、
「好きな文具は?」
と問われると、

「レターセット」
と答えられるのは、

手紙が言葉や想いを運んでくれたからだろう。

これからもそういったことを
大切な人に届けてゆける人生でありたい。


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ヤギ

今日は久々に
沖縄で買ったヤギTシャツを着たの。


はじめての場所へひとりで行ってみるときに
このTシャツを着てると
ちょっとワクワクしてくる。
一人旅をするときの
お気に入りのTシャツだったから、


ネモフィラ、という青いお花の存在を知ったのも
はじめての一人旅の時だった。

その時に出会った一人旅の先輩旅人が
茨城出身の女性で、
まだ行ったことのない茨城という地に、
青いお花が一面にたくさん咲く場所があるんだと知って、
いつか訪れてみたい、と思った。


あれから4年たった今も、
まだ茨城には行けていない。



最近、近くでも
ネモフィラを見られる場所ができたと知り、
あの青い花への憧れが捨てられず、
見に行こう、と思った。


誰とも予定が合わず、
ひとりだけで訪れた。


そこには憧れの青い花たちや、
それからたくさんのカラフルなお花たちが
風にそよぎながら咲いていた。


「あぁ、ネモフィラちゃん達やっと会えたね」




それからちょっと眠たくなってきて、
静かにお昼寝ができる木陰のベンチを探していると、
「暑いですねー
お一人ですか?
良かったら一緒にヤギの所へいきませんか?」

女性が話しかけてきた。


ちょっと変わった雰囲気の女性。
会話がポツリ、ポツリ、としている。
質問もするけど、一人で話している感じ。
小さな子どものような感じ。


それでも、悪い人じゃなさそうだったので、
せっかくだから、と奥にいるヤギのところまで案内してもらった。


予想より大きな、メスとオスのヤギが二匹いた。
ユキちゃんとフクくん。


彼女は生えている草をちぎって
ヤギたちに与えていた。
ヤギたちも遊んでもらって嬉しそうだった。


近くにちょうど屋根付きの椅子とテーブルがあったので、
私もそこでちょっとだけひと休みした。


眠たくて目を閉じていたら、
寂しさが湧いてきた。

今日食べたもの、見たもの、出会った人たち。
確かに私は
幸せな時間を過ごせている。

幸せであることには間違いないけれど、
幸せであると思い込もうとしている。


今日出逢えたすべてのものを
分かち合いたいと願う。



そう素直になれたのなら、
胸が熱くなり、すーっと涙が頬をつたった。



目を開けると
優しい緑の木漏れ日が降り注いでいて、
その女性はすでにそこにはいなかった。



説明によると、
そのヤギたちは三つ子だったらしい。
過去には野犬に襲われて
亡くなってしまったヤギもいたようだ。
もしかしたら3匹目のヤギさんが、
一緒にお散歩をしてくれたんだろうか?
と思ってしまうのは
最近読んだ小説のせいだろうか。




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