きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

封印したい言葉

「そーですね」


これが私の封印したい言葉だ。

この言葉はどんなときでも使えて万能で、
便利で楽な言葉だ。

相手も自分も
だれも傷つけることのない言葉で、
「無難」で「無害」だ。

この言葉が口癖になっていると気づいたのは、
久々に会った友人に
「よく使うよね」と指摘されたからだ。
正直、この話になったときに、
自分の心の深いところの
無意識に自分が壁を積み立てていた
柔らかくてデリケートな部分に
侵入されたような感じで、
胸がザワザワして落ち着かず
居心地が悪かった。



「あなたはどんな人ですか?」と問われるとき、
少なくとも「無害」な存在であると思う。
喧嘩や嫌われること、
嫌な思いをさせることなど、
有害なこと避けて生きていた。

喜・怒・哀・楽
と感情はあるけれど、

自分の中で、「喜び」と「楽しむ」ことは
正の感情で、良い感情だと思っていて、
いつも笑顔でこちらを出すように
心がけてきた。

「哀しみ」は涙もろいので、
どうしても出てきてしまう。
大抵、一人で泣く。
泣くことで浄化する。
自分がすっきりと生きていくために必要な、
しょうがない感情だと思っている。

「怒り」は滅多に出てこない。
小さい頃のきょうだい喧嘩くらいは、
ワーッと怒りをぶつけてたかな?
思春期にも親や友人と
喧嘩した記憶はあるけれど、
大抵、私がだんまりを決め込む「冷戦」だった。

幼少期に聞いた夫婦喧嘩の影響からか、
大きな音や怒り叫ぶ声に恐れがあり、
「私は大人になったら、
喧嘩のない仲良し夫婦で、
あたたかい家庭を築く」と決めた。

なにか反論や口答えをすれば
倍返し以上で返ってきて、
疲れて辛くなって諦めて、
頑固な人に対して
自分の意見を伝えることをやめた。

負の感情は出さないと決め、
自分の中の「怒り」のピースを捨てた。

そのピースの隙間を埋めるために、
魔法で麻薬な言葉「そーですね」が生まれた。

でも本当はわかってほしかった。
100%の全肯定でなくてもいいから、
少しだけでもいいから。

いまだに私は、
否定され傷つくことか怖いのだ。


自分の中の信条として、
「世の中に正解も不正解もない」
と考えていて、だから、
相手も正しい(間違ってない)し、
私も正しい(間違ってない)のに、
自分だけが否定されるのが
おかしいと思ってしまうのだ。

こういう面においては、ある意味
「正しさ」へのこだわりが
残っているのかもしれない。


でもそろそろ
自分を押し殺して、
相手だけを認め続けることに
限界が出てきた。
「(それも)そーですね」と
半同意することに嫌気がさしてきた。
その言葉を使うたびに、
自分が空虚になっていく感じがする。
自分の思いを言語化する能力が
低下していく気がする。
そして、本当に自分が進みたい方向への
標識がぼやけてしまう気がする。

自分の思いを言語化して
しかも相手に伝えるということは
なかなかに労力を要することだ。

まずは自分自身が
「そうだよね、私はこう感じてるんだよね」
と肯定してあげて、
それを言葉にして出していく。
それがたとえ、
不完全でも、かっこ悪い言葉でもいいから。<参考文献>
最近あった個人的な出来事と、
最近読んだ2冊より、
この記事を書き起こしました。

・『光と影の法則』心屋仁之助
この本の主人公がまるで自分のようで、恥ずかしくなりました(^^;
でも、ここが今の私の乗り越えたいところだと、探していたものが見つかったような気持ちです。

・『言語化力』三浦崇宏
ことばにできないことをそのままにしてサボっていた私をたたき起こしてくれたような本。
言語化して明確にすることで、はっきりと道をしてしてくれることもある、確かに!


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