きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

見方を変えて世界を変える〜菌と発酵〜

すごく壮大なタイトルをつけましたが、
かなりお久しぶりのパンのお話です(笑)


●そもそも「発酵」とは?

パンだけに限りませんが、
「発酵」と「腐敗」が同じ現象であると
数年前に知った時は衝撃でした!

だって、発酵っていったら、
・体にいい
・旨みが増す
・おいしい
っていうイメージがあって、

腐敗ってきいたら、
・お腹を壊す
・不味い
・臭い
っていうイメージ。

「発酵と腐敗って同じですよ〜」って言われても、
絶対、腐敗の方は食べたくない!笑
(というか食べちゃダメ(><))


でもこれって私たち「人間」から観た世界なんですよね。

「菌」たちからみると発酵も腐敗も同じことなんだそうです。


その現象に携わっている菌が人間にとって
「良いものか/悪いものか」
その切り口で同じ現象が
「発酵/腐敗」に分けられる。


話は変わりますが、
今日はとっても暑かったので
差し入れのアイスをいただきました*\(^o^)/*


なんと私が唯一嫌いなチョコミント味!!
(私は好き嫌いがほとんどありません)


一口だけいただいてみたけど、
一口だけで十二分にお口が爽やかになりました〜(笑)


この出来事について、
「ドンピシャで唯一嫌いなものを持ってくるなんてすごい!」と思って、
自分では買わないから久々に食べてみたら、やっぱり苦手なことを再認識して、
私としては「面白い」と思えた。

でも、人によっては、
違う気持ちを持つ方もいらっしゃるかもしれませんね。


「同じ現象でも見方によって世界が変わる」


菌からみたら、人間は身勝手で面白い生き物なのかもしれません(笑)



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あした死ぬかもよ?

ひすいこたろうさんの
『あした死ぬかもよ?』という本を読んだ。


読み始めたらその翌朝に
仲良くなった猫が車に轢かれて亡くなっていた。

お散歩コースで出会った猫で
3回に1回くらいの確率で会えて
すっごく人懐っこくて
アザラシみたいにゴロゴロしてる
毛が長いニャンコ。

ニャーニャー鳴きながら、
ゴロゴロ転がりながら、
撫でて欲しいところをアピールしてくる(笑)

勝手にニャー子と呼んでいた。


雨上がりで草に残った雨粒が
キラキラ光る気持ちの良い朝だった。


「今日はいるかな?」と楽しみな気持ちは、
一瞬でショックに変わった。


道路の脇にニャー子によく似た物体が
横たわっている。


「どうか、よく似たゴミであって…っ!」
と願ったけれど、
それは紛れもなくニャー子であって、
どうして猫なんてたくさんいるのに、
よりによってニャー子だったのかと、
不謹慎なことを思った。


まだ完全には硬くなってないけれど、
もう手遅れで、おそらく即死だったのだろう。
はじめて見る苦しそうな顔、
もう魂はここには入ってないのだけれど。


せめてもう轢かれませんようにと、
近くの安全な草の上まで運んだ。
たぶんこの子はいつもこのお家の前で会うから、
このお家の人に飼われているんだろう。
だからこうすることしかできなかった。



悲しくて、
朝からショッキングで、
泣きながら帰った。


『あした死ぬかもよ』の本の中にもあったように、
「どういうわけか、人は、
「自分だけは死なない」と思って」いる。



最近、同級生の葬儀に参加した彼が、
「自分がいつ死ぬか分からないということは
心に留めて日々を過ごしていたけれど、
まさか相手が死ぬことは想定できてなかった」
とこぼしていた。


私も死に疎い者の一人だ。



その日の呼吸法は、
ニャー子に捧げた。
そしたら最後には
「ありがとう」しか出てこなかった。

すーっと気持ちが落ち着いて、
その日予定していた楽しみも
そのまま実行した。

だって私はまだ生きているから。




『あした死ぬかもよ?』の中にでてくる質問に
紙に書き出して本気で取り組んでいった。


死ぬんだったら、と
言い訳や制限をとっぱらって
ワクワクしながら妄想を膨らませていく。


大切なものは身近なところにあって、
本当にしたいことは特別なことじゃない。


心地よい理想郷をつくりたい、と思っている。
今がそこに繋がっている。


答えを紙に書き出していったら、
さっそく上手くいったこともいくつかあった。

・ワクワク人生の事業計画を自分なりに作れたこと
・将来使う器を作りたい!と書いたら陶芸教室に誘っていただけたこと



どうせいつか死ぬのだから、
やりたいことをできるときにやっておこう。
身の回りの当たり前、
でも本当は有難いことを大切にしよう。



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好きな文具は

『 手紙屋 』さん
と私が出会ったのはいつだったか?

約3年前、社会人2年目が終わるくらいだった。

社会人になり、
昼休みの暇つぶしに本を読み始めた私に
はじめて本の面白さ、
そして人生の広がりを教えてくれた本だ。

この物語は、
どこにでもいそうな男子就活生が
手紙屋との10通の文通を通じて
大きく成長していく、というストーリー。


当時、私は今まで自分が知らなかった
考え方や世界の見方をこの本から教わり、
「うわー!就活する前に
この本と出会いたかったー!」
とモーレツに感じると同時に、
「まだ今からでも遅くない!」
と勇気や希望をもらえたことを覚えている。


部屋の整理をしていて、
この本が目に入り、
久しぶりに読み返してみた。


今思い返せば、
私も過去に手紙屋さんみたいなことを
やってみたこともあったっけな?
ということがポツポツある。


なんとなく「言葉」に対する興味というのが
昔からある。
最初は英語に対する興味みたいなもので、
それから外国語とか方言とかの
意味や考え方の違いといった文化や価値観的なもので。


便利なことに口は音として言葉を即効性をもって紡いでくれる。
と同時に、会話の波に乗れなかったり、
なんか上手く思っていることを言い表せなかったな、なんていうこともある。

LINE→メール→手紙という順に、
よく考えて言葉を紡ぐことができる、
と個人的には思っている。


前職で新卒の採用担当を任されていた。
みんなそれぞれ悩みがあって、
中には夢を持ってる子もいた。
キラキラと向かってきてくれる子たちに対して、
会話であれ、メールであれ、お手紙であれ、
真っ直ぐに向き合いたかった。


当時の私ができることを返した。
だから受け取ってくれた子たちにとって、
不十分なところもあったかもしれない。


偶然か必然か、
当時私はステーショナリー(文具)の
製造委託会社で働いていた。


可愛いものが好きで学生時代は
雑貨屋さんによく立ち寄ったものだが、
常日頃、文具に囲まれすぎると、
お腹いっぱいになってしまった私は
そこまで文具にかける情熱がなかったのかもしない(笑)


それでも、
「好きな文具は?」
と問われると、

「レターセット」
と答えられるのは、

手紙が言葉や想いを運んでくれたからだろう。

これからもそういったことを
大切な人に届けてゆける人生でありたい。


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ヤギ

今日は久々に
沖縄で買ったヤギTシャツを着たの。


はじめての場所へひとりで行ってみるときに
このTシャツを着てると
ちょっとワクワクしてくる。
一人旅をするときの
お気に入りのTシャツだったから、


ネモフィラ、という青いお花の存在を知ったのも
はじめての一人旅の時だった。

その時に出会った一人旅の先輩旅人が
茨城出身の女性で、
まだ行ったことのない茨城という地に、
青いお花が一面にたくさん咲く場所があるんだと知って、
いつか訪れてみたい、と思った。


あれから4年たった今も、
まだ茨城には行けていない。



最近、近くでも
ネモフィラを見られる場所ができたと知り、
あの青い花への憧れが捨てられず、
見に行こう、と思った。


誰とも予定が合わず、
ひとりだけで訪れた。


そこには憧れの青い花たちや、
それからたくさんのカラフルなお花たちが
風にそよぎながら咲いていた。


「あぁ、ネモフィラちゃん達やっと会えたね」




それからちょっと眠たくなってきて、
静かにお昼寝ができる木陰のベンチを探していると、
「暑いですねー
お一人ですか?
良かったら一緒にヤギの所へいきませんか?」

女性が話しかけてきた。


ちょっと変わった雰囲気の女性。
会話がポツリ、ポツリ、としている。
質問もするけど、一人で話している感じ。
小さな子どものような感じ。


それでも、悪い人じゃなさそうだったので、
せっかくだから、と奥にいるヤギのところまで案内してもらった。


予想より大きな、メスとオスのヤギが二匹いた。
ユキちゃんとフクくん。


彼女は生えている草をちぎって
ヤギたちに与えていた。
ヤギたちも遊んでもらって嬉しそうだった。


近くにちょうど屋根付きの椅子とテーブルがあったので、
私もそこでちょっとだけひと休みした。


眠たくて目を閉じていたら、
寂しさが湧いてきた。

今日食べたもの、見たもの、出会った人たち。
確かに私は
幸せな時間を過ごせている。

幸せであることには間違いないけれど、
幸せであると思い込もうとしている。


今日出逢えたすべてのものを
分かち合いたいと願う。



そう素直になれたのなら、
胸が熱くなり、すーっと涙が頬をつたった。



目を開けると
優しい緑の木漏れ日が降り注いでいて、
その女性はすでにそこにはいなかった。



説明によると、
そのヤギたちは三つ子だったらしい。
過去には野犬に襲われて
亡くなってしまったヤギもいたようだ。
もしかしたら3匹目のヤギさんが、
一緒にお散歩をしてくれたんだろうか?
と思ってしまうのは
最近読んだ小説のせいだろうか。




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近づく

昨日の朗読会で、
マーフィーの法則」のことを思い出した。

引き寄せる、というと
自分が引っ張ってくるような
不自然なイメージがあって
個人的には違和感がある。

すとん、と気づいたら収まっているような、
そんな感じがいい。


素敵な場所や人の元を
今までに沢山訪れてきた。


つい先日ご縁をいただいた
アクセサリー工房さんだって、
居心地が良すぎて、
この居心地の良さになにかをお返ししたいのに、
現時点ではなにもお返しできるものがないことに、
少し申し訳なさを感じたほど。


ご夫婦が二人並んでお見送りしてくださって、
あぁ、なんかこれだけで素敵だなぁ、
幸せだなぁって思えて、
まずは自分自身が楽しく生きていく、
そうやっていくことで、
その存在そのものが周りも幸せにしていく、
分け与えていけるんだって、
これはそういうことなんだって、
実感できたご夫婦だった。



そして、沖縄で泊まった
オーシャンビューの絶景のゲストハウス。

本当に贅沢すぎて、
普段の自分には不釣り合いで、
つかの間のバカンスだと思ってしまっていた。
無意識のうちに。


私はここ3年くらいずっと緩やかに
「場所」を探している。
自然の中がいいな、と思う。
山と海とで迷っていたけれど、
やっぱり自分には海の方が合っていると
最近分かった。

お日様がぽかぽかと照らしてくれて、
空気や水がきれいなところがいい。
ハンモックと焼き窯も作りたい。


できれば、景色が綺麗なところがいい。
沖縄の海みたいな絶景とまではいかずとも、
そこそこ綺麗な景色がほしいーーーー。



「できれば」???
私は自分でも気づかないうちに、
自分自身を信じきれていなくて、
自分自身で制限をかけてしまっていた。


だから今朝の呼吸法では、
制限をとっぱらって、
本当にほしい理想の場所を思い描いてみた。


そしたらやっぱり
キラキラと輝く海の絶景は思い浮かんできて、
ただなにをするわけでもなく、
平凡な私たちが仲良く穏やかにそこにいるだけで大丈夫だと分かった。


呼吸法の後、なぜか久しぶりに空き家バンクを見てみようという気になって、HPを開いてみると、そこにはピンとくる物件があった!!!
(今まで物件にピンときたことなんて一度もなかったのに!)


恐怖や不安はなくて、
これは実際に見に行ってみて本当に良かったら買おう!と思った。

すぐにメールでお問い合わせをした。
そしたらお返事がきた。


「すみません、今日、決まりました。」


しまったーー!
一歩遅かった(><)(><)(><)


でも確実に思い描く理想の精度は上がってるし、
ビビビッと察知する感度も上がっている。


本当のところはこの物件を手に入れられたら正解だったのか、間違いだったのかは分からない。


大切なのは、
意味や理由や能力や価値に囚われないで
存在そのものを包み込んで
無制限に自由に思い描く、そんな感覚。



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スイッチ

それは突然湧いてきた。
1年振りにイベント開催をまたやりたいなーと。

具体的な内容は決めずに、
タイミングやご縁があって
集まってくださる方へ
ワクワクしてこの瞬間からが
もっと楽しくなる空間を作りたいなーと。

だからサブタイトルは
〜私の中のやる気スイッチ〜にした。

スイッチって
やらなきゃやらなきゃって
思ってる時は固くて押せないのに、
ワクワクして楽しい気持ちになると
いつの間にか押されちゃってる。


周りの人も幸せであればいいな、と思う。
大切な人にもささやかな幸せを感じてもらえれば、と思う。


「人を変える」ということについて
大学時代の部活の仲間の言葉が思い出される。


彼女は部員たちを「変えたい、変えたい」と言っていて、
強い意志を持っていた。


結果として私も
彼女に「変えてもらった」人間の内の一人だ。


というより、
彼女に変えてもらったようで、
実は自分自身が変わるためのキッカケを
与えてもらった、
という方が正しいのだと思う。



アニメ『化物語』の中で

「人は一人で勝手に助かるだけ。
誰かが誰かを助けることなど出来ない。」

というセリフがある。


日々の中で、出来事や出会いや言葉や
ありとあらゆる物事を受け取れるかどうか。
そして、それをどのように受け入れるか。



人は変えられない。
人が変われるのは、
自分自身が「変わる」ということを
選択した時だけ。


でも、
「キッカケ」だったら与えることができる。
気づくかどうか、
受け取るかどうか、
はその人次第。


受け取ることができるのは、
いつになるかわからないし、
また別の物事からかもしれない。


もしキッカケになれたら嬉しいな〜
くらいで気楽に構える。
キッカケにならなかったとしても、
みんなが楽しんでくれたらそれでいいかな。



1年振りに主催したイベント。
みんなのためにやっているようで、
実は私のためのイベントになった。


新しい世界へ進む後押しをしてくれた仲間たちに、
前の世界で安定を提供し支えてきてくれた仲間たち。
新と旧の仲間たちが初めて一つの空間に集まって、
ともに同じ時間を過ごす。


1年前なら実現できなかった(させなかった)であろう、
不思議で実りある時間。
ここを経て本当の意味で
新しい世界へ羽ばたく。


ーーーーーカチリ。


スイッチってキッカケのことかしら?
とふと思った。



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愛あふれる卒業式

「私は【夢がないこと】がずっと悩みでした。」

そう卒業のことばを発していく。

今日は私にとっての卒業式。

最近では退社のことを
「卒業」と言うのが流行っているらしい。

私自身、「会社を卒業する」ということばに
違和感をもっていた。

でも今日一日は、
思い出の場所や馴染みの場所に
足を踏み入れる度、
一人一人とお話しする度、
最後のお仕事をする度に、
入社してから5年間の思い出が
次々と思い出されて、
「新入生のころにお花見をして…」
なんて言っちゃって、
すっかり「卒業」という気持ちに
なってしまっていたのだ。

卒業生代表(といっても私一人なのだけど)の言葉では、
号泣して言葉に詰まってしまうものだと
思っていたけれど、
溢れる涙を止めようとしなければ、
出てくるものをせき止めようとしなければ、
伝えたいこともはっきりと出てきた。


まだ私が就活生だったとき、
夢もなくただただ人生迷子の状態で、
「人」だけを頼りにさまよった。

だれかのためになり、
だれかに喜んでもらえることが好きだった。
だから、素敵な人たちの力になれるようなところへ行きたいと思った。

そんな中でご縁あり出会った会社。
「就活はしばしば恋愛に例えられる」
と耳にしたことがあるけれど、
私の場合はまさにそうだった。

面接をしてくださった方の人柄に惹かれ、
社内で楽しそうに働かれている方々の人柄に惹かれ、
「こんな素敵な会社の皆さんと
私も一緒に楽しく幸せに働きたい!」
と強く思った。

今まで
だれかを喜ばせる仕事
→お客様を喜ばせる仕事
→接客業や営業職
だと勝手に狭く考えていたけれど、

総務部長の
【総務のお客様は社員】
という言葉にピンときて、
こんな素敵な人たちに
喜んでもらえるお仕事なんて最高じゃないか
って思った。

特に、その会社に惹き込まれていく
きっかけとなった面接官には、
良くも悪くもロマンチストな方なのだけれど、
「想い」「未来」「夢」
その口から紡ぎ出されていく言葉に魅了されて、
「あなたに総務部を任せたい!」
と言われた時には完全にノックアウトだった(笑)

今思えばまんまと落とされたのかもしれないけれど、
それでも一緒に作っていく未来や希望に、
胸を踊らせていた。


入社当初は、小さなことでも
「人の役に立てることってこんなにも楽しいことなんだ!」
って素直に喜ぶことができていて、
同期や一緒に働く会社のみんなもいい人ばかりで、
毎日が楽しくて幸せだった。

でも、現実が積み重なっていくうちに、
夢や希望といった
未来に対するワクワクが薄れていき、
強い想いを維持できなくなった。


いつしか勝手に拗ねていた。
自分勝手に「どーせ」、「〜してくれない」と決めつけていた。


そんな中でも救いだったのは、
いつも人に恵まれていたこと。
優しい人達に囲まれて、
その人達のためなら頑張れた。
応援できた。

また、採用活動のお仕事を通じて、
学生さん達と関わらせていただけたことも幸運だった。
未来に向かって輝いている、
その姿を見るだけで、
無条件で応援したくなった。


こうして大切な人たちを応援しているうちに、
私も本気でなにかやりたいことを見つけたい、と思った。
初めはどう探したらいいのか見当もつかなかったけれど、
身近な人を応援しているうちに、
笑って楽しくおしゃべりしているうちに、
小さな楽しいことを積み重ねていくうちに、
ついに自分自身の夢を持つことができた。

答えは探しに行かなくても実は自分の中にあって、私はそう、
心地いい理想郷をずっと追い求めている。

でもそれは100%完璧な状態じゃないかも
しれないけど、
常に自分とともにあって、
自分次第でより理想へ近づけることができる。


夢がないこと が悩みだった。
夢を見つけて 嬉しかった。
夢を隠して 苦しかった。

夢を言えて やっと息ができた。
そしたら、
夢を応援される という奇跡が起こった。


「どーせ」否定される、反対される
きっと賛成「してくれない」
と決めつけていたものが、
感謝や感動、愛に変わった。


かつて「未来」をともに夢見た面接官。
なんと言われるかもっとも恐れていた相手の一人。

パッと最初に発せられたひとこと。
「応援します」


胸が熱くなり、涙がこぼれ落ちそうだった。



「人に恵まれている」
そう思っていながらも
どれだけ恵まれているのかを
受け入れ切れていなかったかもしれない。

遅くなってしまったけれど、
卒業の日が近づくにつれて、
いろんな愛にちゃんと気づいて受け取れるようになって、
やっと、卒業の日に100%の愛を感じることができたような気がする。
こんなにもみんなが愛してくれていて、
こんなにも私は愛されていたんだと。

決めつけ、の反対は信じることかもしれない。
自分自身を守るために、
「どーせ」「〜してくれない」と決めつけて卑屈になって、
それでも本当は欲して求めていて、
心が苦しんでるという現状があって、

でも本当はこんなにも愛が溢れているのに、
自分がその愛を受け入れられていないだけだった。

相手を信じ、自分自身も信じる。

少しずつ練習していこう。


ありがとう。


おめでとう。



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