「あたりまえ」に「ありがとう」を。
とある日の朝、良い感じの公園で朝食をいただいた。
少し肌寒いが、ツツジが綺麗に咲いていて、気持ちの良い朝だった。
ブランコに揺られていると、おじいさんが声をかけてくださった。
「SNAとかなんとか言うものに、若い人達は載せるんじゃろ?」
一瞬何かのアイドルグループかと思ったが、どうやら、SNSにツツジをアップするということを意味しているらしい。
このおじいさん、いつも公園の清掃をしてくださっている方のようだ。
「草は抜いても抜いても、新しく生えてきて、何回でもやり直せるから良いねぇ」
そう言って、ブランコの支柱の付け根に生えている草までも、丁寧に摘み取ってゆく。
そう言った具合に、おじいさんとの深イイ話が始まっていった。
おじいさんは昔、お見合い結婚で、奥さんの生まれ育った街に越してこられたらしい。
結婚生活はなんと60年近くにもなる。
「奥さんとは仲良いですか?」ふと尋ねてみた。
「(奥さんは)もうおらんけど、『嫌やったことは二つ三つしかなかった。概ね良い人生やった』って書き残してくれとったなぁ」
奥さんがいらしたころは、おじいさんが仕事から帰ってくると、なにも言わなくてもいつも、そっとコーヒーを差し出してくれたそうだ。
「有難みというものは、いなくなって初めて気づくもんじゃな。『ありがとう』と言いたい時にはもう会えんもんじゃな…」
おじいさんからお話を聞く限りでは、奥さんも幸せだったように思うが、おじいさんにはそれでもなお、後悔が残っている。
世の中は有難いことでいっぱいだ。
でも私たちはいつしか「有難い」を「当たり前」に変えてしまう。
そしてその「当たり前」がなくなると、「ああ、これは『有難い』ことだったんだ」と思い出す。
「ありがとう」を伝えたい相手が存在しているということは、幸せなことだ。
「ありがとうございます」
おじいさんにお礼を述べて、その公園を後にした。