きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

ヤギ

今日は久々に
沖縄で買ったヤギTシャツを着たの。


はじめての場所へひとりで行ってみるときに
このTシャツを着てると
ちょっとワクワクしてくる。
一人旅をするときの
お気に入りのTシャツだったから、


ネモフィラ、という青いお花の存在を知ったのも
はじめての一人旅の時だった。

その時に出会った一人旅の先輩旅人が
茨城出身の女性で、
まだ行ったことのない茨城という地に、
青いお花が一面にたくさん咲く場所があるんだと知って、
いつか訪れてみたい、と思った。


あれから4年たった今も、
まだ茨城には行けていない。



最近、近くでも
ネモフィラを見られる場所ができたと知り、
あの青い花への憧れが捨てられず、
見に行こう、と思った。


誰とも予定が合わず、
ひとりだけで訪れた。


そこには憧れの青い花たちや、
それからたくさんのカラフルなお花たちが
風にそよぎながら咲いていた。


「あぁ、ネモフィラちゃん達やっと会えたね」




それからちょっと眠たくなってきて、
静かにお昼寝ができる木陰のベンチを探していると、
「暑いですねー
お一人ですか?
良かったら一緒にヤギの所へいきませんか?」

女性が話しかけてきた。


ちょっと変わった雰囲気の女性。
会話がポツリ、ポツリ、としている。
質問もするけど、一人で話している感じ。
小さな子どものような感じ。


それでも、悪い人じゃなさそうだったので、
せっかくだから、と奥にいるヤギのところまで案内してもらった。


予想より大きな、メスとオスのヤギが二匹いた。
ユキちゃんとフクくん。


彼女は生えている草をちぎって
ヤギたちに与えていた。
ヤギたちも遊んでもらって嬉しそうだった。


近くにちょうど屋根付きの椅子とテーブルがあったので、
私もそこでちょっとだけひと休みした。


眠たくて目を閉じていたら、
寂しさが湧いてきた。

今日食べたもの、見たもの、出会った人たち。
確かに私は
幸せな時間を過ごせている。

幸せであることには間違いないけれど、
幸せであると思い込もうとしている。


今日出逢えたすべてのものを
分かち合いたいと願う。



そう素直になれたのなら、
胸が熱くなり、すーっと涙が頬をつたった。



目を開けると
優しい緑の木漏れ日が降り注いでいて、
その女性はすでにそこにはいなかった。



説明によると、
そのヤギたちは三つ子だったらしい。
過去には野犬に襲われて
亡くなってしまったヤギもいたようだ。
もしかしたら3匹目のヤギさんが、
一緒にお散歩をしてくれたんだろうか?
と思ってしまうのは
最近読んだ小説のせいだろうか。




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近づく

昨日の朗読会で、
マーフィーの法則」のことを思い出した。

引き寄せる、というと
自分が引っ張ってくるような
不自然なイメージがあって
個人的には違和感がある。

すとん、と気づいたら収まっているような、
そんな感じがいい。


素敵な場所や人の元を
今までに沢山訪れてきた。


つい先日ご縁をいただいた
アクセサリー工房さんだって、
居心地が良すぎて、
この居心地の良さになにかをお返ししたいのに、
現時点ではなにもお返しできるものがないことに、
少し申し訳なさを感じたほど。


ご夫婦が二人並んでお見送りしてくださって、
あぁ、なんかこれだけで素敵だなぁ、
幸せだなぁって思えて、
まずは自分自身が楽しく生きていく、
そうやっていくことで、
その存在そのものが周りも幸せにしていく、
分け与えていけるんだって、
これはそういうことなんだって、
実感できたご夫婦だった。



そして、沖縄で泊まった
オーシャンビューの絶景のゲストハウス。

本当に贅沢すぎて、
普段の自分には不釣り合いで、
つかの間のバカンスだと思ってしまっていた。
無意識のうちに。


私はここ3年くらいずっと緩やかに
「場所」を探している。
自然の中がいいな、と思う。
山と海とで迷っていたけれど、
やっぱり自分には海の方が合っていると
最近分かった。

お日様がぽかぽかと照らしてくれて、
空気や水がきれいなところがいい。
ハンモックと焼き窯も作りたい。


できれば、景色が綺麗なところがいい。
沖縄の海みたいな絶景とまではいかずとも、
そこそこ綺麗な景色がほしいーーーー。



「できれば」???
私は自分でも気づかないうちに、
自分自身を信じきれていなくて、
自分自身で制限をかけてしまっていた。


だから今朝の呼吸法では、
制限をとっぱらって、
本当にほしい理想の場所を思い描いてみた。


そしたらやっぱり
キラキラと輝く海の絶景は思い浮かんできて、
ただなにをするわけでもなく、
平凡な私たちが仲良く穏やかにそこにいるだけで大丈夫だと分かった。


呼吸法の後、なぜか久しぶりに空き家バンクを見てみようという気になって、HPを開いてみると、そこにはピンとくる物件があった!!!
(今まで物件にピンときたことなんて一度もなかったのに!)


恐怖や不安はなくて、
これは実際に見に行ってみて本当に良かったら買おう!と思った。

すぐにメールでお問い合わせをした。
そしたらお返事がきた。


「すみません、今日、決まりました。」


しまったーー!
一歩遅かった(><)(><)(><)


でも確実に思い描く理想の精度は上がってるし、
ビビビッと察知する感度も上がっている。


本当のところはこの物件を手に入れられたら正解だったのか、間違いだったのかは分からない。


大切なのは、
意味や理由や能力や価値に囚われないで
存在そのものを包み込んで
無制限に自由に思い描く、そんな感覚。



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スイッチ

それは突然湧いてきた。
1年振りにイベント開催をまたやりたいなーと。

具体的な内容は決めずに、
タイミングやご縁があって
集まってくださる方へ
ワクワクしてこの瞬間からが
もっと楽しくなる空間を作りたいなーと。

だからサブタイトルは
〜私の中のやる気スイッチ〜にした。

スイッチって
やらなきゃやらなきゃって
思ってる時は固くて押せないのに、
ワクワクして楽しい気持ちになると
いつの間にか押されちゃってる。


周りの人も幸せであればいいな、と思う。
大切な人にもささやかな幸せを感じてもらえれば、と思う。


「人を変える」ということについて
大学時代の部活の仲間の言葉が思い出される。


彼女は部員たちを「変えたい、変えたい」と言っていて、
強い意志を持っていた。


結果として私も
彼女に「変えてもらった」人間の内の一人だ。


というより、
彼女に変えてもらったようで、
実は自分自身が変わるためのキッカケを
与えてもらった、
という方が正しいのだと思う。



アニメ『化物語』の中で

「人は一人で勝手に助かるだけ。
誰かが誰かを助けることなど出来ない。」

というセリフがある。


日々の中で、出来事や出会いや言葉や
ありとあらゆる物事を受け取れるかどうか。
そして、それをどのように受け入れるか。



人は変えられない。
人が変われるのは、
自分自身が「変わる」ということを
選択した時だけ。


でも、
「キッカケ」だったら与えることができる。
気づくかどうか、
受け取るかどうか、
はその人次第。


受け取ることができるのは、
いつになるかわからないし、
また別の物事からかもしれない。


もしキッカケになれたら嬉しいな〜
くらいで気楽に構える。
キッカケにならなかったとしても、
みんなが楽しんでくれたらそれでいいかな。



1年振りに主催したイベント。
みんなのためにやっているようで、
実は私のためのイベントになった。


新しい世界へ進む後押しをしてくれた仲間たちに、
前の世界で安定を提供し支えてきてくれた仲間たち。
新と旧の仲間たちが初めて一つの空間に集まって、
ともに同じ時間を過ごす。


1年前なら実現できなかった(させなかった)であろう、
不思議で実りある時間。
ここを経て本当の意味で
新しい世界へ羽ばたく。


ーーーーーカチリ。


スイッチってキッカケのことかしら?
とふと思った。



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愛あふれる卒業式

「私は【夢がないこと】がずっと悩みでした。」

そう卒業のことばを発していく。

今日は私にとっての卒業式。

最近では退社のことを
「卒業」と言うのが流行っているらしい。

私自身、「会社を卒業する」ということばに
違和感をもっていた。

でも今日一日は、
思い出の場所や馴染みの場所に
足を踏み入れる度、
一人一人とお話しする度、
最後のお仕事をする度に、
入社してから5年間の思い出が
次々と思い出されて、
「新入生のころにお花見をして…」
なんて言っちゃって、
すっかり「卒業」という気持ちに
なってしまっていたのだ。

卒業生代表(といっても私一人なのだけど)の言葉では、
号泣して言葉に詰まってしまうものだと
思っていたけれど、
溢れる涙を止めようとしなければ、
出てくるものをせき止めようとしなければ、
伝えたいこともはっきりと出てきた。


まだ私が就活生だったとき、
夢もなくただただ人生迷子の状態で、
「人」だけを頼りにさまよった。

だれかのためになり、
だれかに喜んでもらえることが好きだった。
だから、素敵な人たちの力になれるようなところへ行きたいと思った。

そんな中でご縁あり出会った会社。
「就活はしばしば恋愛に例えられる」
と耳にしたことがあるけれど、
私の場合はまさにそうだった。

面接をしてくださった方の人柄に惹かれ、
社内で楽しそうに働かれている方々の人柄に惹かれ、
「こんな素敵な会社の皆さんと
私も一緒に楽しく幸せに働きたい!」
と強く思った。

今まで
だれかを喜ばせる仕事
→お客様を喜ばせる仕事
→接客業や営業職
だと勝手に狭く考えていたけれど、

総務部長の
【総務のお客様は社員】
という言葉にピンときて、
こんな素敵な人たちに
喜んでもらえるお仕事なんて最高じゃないか
って思った。

特に、その会社に惹き込まれていく
きっかけとなった面接官には、
良くも悪くもロマンチストな方なのだけれど、
「想い」「未来」「夢」
その口から紡ぎ出されていく言葉に魅了されて、
「あなたに総務部を任せたい!」
と言われた時には完全にノックアウトだった(笑)

今思えばまんまと落とされたのかもしれないけれど、
それでも一緒に作っていく未来や希望に、
胸を踊らせていた。


入社当初は、小さなことでも
「人の役に立てることってこんなにも楽しいことなんだ!」
って素直に喜ぶことができていて、
同期や一緒に働く会社のみんなもいい人ばかりで、
毎日が楽しくて幸せだった。

でも、現実が積み重なっていくうちに、
夢や希望といった
未来に対するワクワクが薄れていき、
強い想いを維持できなくなった。


いつしか勝手に拗ねていた。
自分勝手に「どーせ」、「〜してくれない」と決めつけていた。


そんな中でも救いだったのは、
いつも人に恵まれていたこと。
優しい人達に囲まれて、
その人達のためなら頑張れた。
応援できた。

また、採用活動のお仕事を通じて、
学生さん達と関わらせていただけたことも幸運だった。
未来に向かって輝いている、
その姿を見るだけで、
無条件で応援したくなった。


こうして大切な人たちを応援しているうちに、
私も本気でなにかやりたいことを見つけたい、と思った。
初めはどう探したらいいのか見当もつかなかったけれど、
身近な人を応援しているうちに、
笑って楽しくおしゃべりしているうちに、
小さな楽しいことを積み重ねていくうちに、
ついに自分自身の夢を持つことができた。

答えは探しに行かなくても実は自分の中にあって、私はそう、
心地いい理想郷をずっと追い求めている。

でもそれは100%完璧な状態じゃないかも
しれないけど、
常に自分とともにあって、
自分次第でより理想へ近づけることができる。


夢がないこと が悩みだった。
夢を見つけて 嬉しかった。
夢を隠して 苦しかった。

夢を言えて やっと息ができた。
そしたら、
夢を応援される という奇跡が起こった。


「どーせ」否定される、反対される
きっと賛成「してくれない」
と決めつけていたものが、
感謝や感動、愛に変わった。


かつて「未来」をともに夢見た面接官。
なんと言われるかもっとも恐れていた相手の一人。

パッと最初に発せられたひとこと。
「応援します」


胸が熱くなり、涙がこぼれ落ちそうだった。



「人に恵まれている」
そう思っていながらも
どれだけ恵まれているのかを
受け入れ切れていなかったかもしれない。

遅くなってしまったけれど、
卒業の日が近づくにつれて、
いろんな愛にちゃんと気づいて受け取れるようになって、
やっと、卒業の日に100%の愛を感じることができたような気がする。
こんなにもみんなが愛してくれていて、
こんなにも私は愛されていたんだと。

決めつけ、の反対は信じることかもしれない。
自分自身を守るために、
「どーせ」「〜してくれない」と決めつけて卑屈になって、
それでも本当は欲して求めていて、
心が苦しんでるという現状があって、

でも本当はこんなにも愛が溢れているのに、
自分がその愛を受け入れられていないだけだった。

相手を信じ、自分自身も信じる。

少しずつ練習していこう。


ありがとう。


おめでとう。



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応援を受け取る

「勇気とは自分の本音に素直になること」

この一文は
『 パズルの法則』ひすいこたろう×吉武大輔
の中に書かれていた言葉だ。

自分の本音としっかり向きあって覚悟を決めて
勇気を出して前に踏み出す。

変化を嫌うのは人間の本能的な部分もあるから、
最初はびっくりされて、
諭されたり否定されたりすることもしばしば。

それでもしっかり覚悟を決めたあとならば、
自分自身を裏切らない。

あとからきっと周りもついてくるのだ。


最近気がついたこと。
一部の人を除いて夢は否定されるのが普通だ
と思っていたけれど、
いざ行動に移してみると、
意外とたくさんの人が応援してくれる
のだということ。

最初は否定的だった人も、
知らない内に応援側に回っていたりもする。

もしかしたら、私自身が
「否定される」というフィルターをかけて、
周りの人を見てしまっていたのかもしれない。
実は応援してくれていた人は
最初から思ったよりも多かったのかもしれない。


こんなにも、応援していただける、
ということへの驚きと感謝。

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ルール

【 ルール】
規則、規定、きまり。

私にとってルールって一体なんだろう?


学生時代、OL時代の私にとってルールとは
・守るべきもの
・破ると怒られる
・時々何のためにあるのか分からない(ものもある)
・守るのがめんどくさいもの
・ルールに対する賛同者と批判者ができてめんどくさい
・守ってくれるもの、楽をさせてくれるもの
だった。


今までルールがあるのが当たり前、
ルールを守るのが当たり前、
なんなら自らもルールや締切を定めて、
「私は事前にアナウンスしてますからね」とか
「こう決めたので、守ってくださいね」とか
仕事を早く片付けやすいように、
なにかあった際に自分に非がないことを
主張できるようにしてきたとも言える。


それが今現在、
ルールの少ない世界で生きている。
最初は本当に不自由だった。
良い/悪いを判断するための基準がなくて、
ルールがなかったらほとんどのことが
悪い方へいってしまうのではないかと恐れた。

自分の中で勝手にルールを作って、
自分で勝手に守って、
守ってない人たちに対して
「私はこうやってるのに、
みんなはやってくれない!」
と心の中で勝手に非難した。
(そもそもルールは公言してないのに笑)


そんななかでも生活を続けていくと、
ルールのない世界に順応していくものだ。

今までは、✕を取り締まるためにルールを作っていた。

前の世界の人から、
「これはこうやってきちんとルールを決めた方が良いんじゃないですか!?」と言われた。

以前の私なら、疑問を持たずに賛同してきれいに整えていた。

でも、今の私は
「あ、ルールを作るから‪✕‬も生まれるんだ」ときづいた。


ルールがあるから、〇と✕が生まれる。
ルールがなかったら、ほとんどのことが〇になる?
いや、〇も✕もなくなるのかもしれない。


それは一見、自由でゆるくて楽しそう。
もしかしたら厳しくて難しいのかもしれない。
その世界でどう生きるのかは自分次第。


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嫉妬から見えるもの

「どうしてわたしはあの子じゃないの」

なぜかその言葉が気になって手にとった。
絶対ドロドロしたお話だとは分かっていたのに。

他人を羨やむ心
誰かに嫉妬する心

自分を他人と比べてしまうから生まれる気持ち。
気づかされてしまう自分自身の汚さ。


自分のフィルターを通して相手を見ると、
(無意識に)自分が見たいように相手を見る。
というより、色々ある中のとある一面を見る、と言う方が良いだろうか?


「自慢」と「嫉妬」って実は繋がりがある気がする。
自慢があんまり好きじゃない。
自慢ってなんだか悪いような気がする。
(本当は、良いも悪いもないことは頭では分かってる)

そもそも自慢ってなんだ?

人のハナシが自慢に「聞こえる」とき、
心の中で嫌だなって気持ちが戦ってる。
すごい、と思いたいことを素直に認められないでいる。
その人と自分とを比べて、
持っていないもの、
できていないもの、
足りないもの、
「ない」を見て勝手に妬んでいる。


それでも私そのものでしかない。
どんな気持ちもそのまま受け入れていくと、
本当の気持ちが見えてくる。
嫉妬ってもしかしたら、
ほしいものを手に入れるためのサインかもしれない。



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『どうしてわたしはあの子じゃないの』寺地はるな