きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

〝恐怖 〟 と共に生きる

実は私は「車の運転」が怖い。
でも免許も持ってるし、
普通に問題なく日常生活で運転をしています。

たぶん私のことを知ってる人なら
「え!?どういうこと???」
って混乱すると思う。
それくらい通常運転です笑

このことは1ヶ月前くらいまでは、
私の中で弱みで問題の一つで、
恥ずべきことで、
克服したいことで、
隠しておきたいことだった。

運転はあまり上手じゃないので
もともと苦手意識はあったものの
最初から運転が怖かった訳ではありません。

運転が怖くなってしまったのは、
3年くらい前から。

少し遠くまで友人と遊びに行って、
帰りが予定より遅くなって
「よし!頑張って帰るかっ!」って時に、
警報が出るほどの大雨が降っていて、
高速道路に入ってすぐに
真っ暗な恐怖で埋め尽くされた。

「夜暗くてすごい雨で前が全然見えない」
「後ろの車が煽ってる(ように感じた)」
「友達の命も預かってる」
「死にたくない」

血の気がさーっと引いて、
呼吸が早く浅くなって、
腕が硬直して動かなくなった。

どうにか必死で、
ハザードランプを点けて、
脇に停車して、
友人に手を握ってもらい、
少しだけ落ち着いて、
いちばん近い降り口で高速を降りた。

その後、彼に迎えに来てもらって、
心から安心して感謝した。

こんなこと初めてで、
まさか自分がこんな経験をすると思ってなくて、
どうしていいか分からなかった。


後に、こういう症状について調べてみると、
「パニック症」とかいうのが近そうだったけど、
なにかに当てはめられたとしても
解決方法が分からないと意味がない。


初めてこのように恐怖からくる
発作的なものを体験したのが約3年前。
この1回きりで終われば良かったのだけど、
それから程度の差はあれども、
少なくとも5回以上は経験してると思う。

あの怖い感覚をもう味わいたくないから、

・遠方への移動は公共交通機関を選ぶようにした
・雨の日の運転は避けるようにした
・運転前のカフェインも良くなかったかも?と思い、高速時のコーヒーは避けるようにした
・使い慣れない営業車の運転は避けるようにした

でもあの感覚を私はもう知ってしまってて、
あの感覚に陥りたくない、
なったらどうしようと心配するほどに、
その感覚はフラッシュバックしてくる。
(しかも運転中だから急に止まれない(泣))


私はずっとその恐怖から逃げてきた。
消してしまいたい、忘れてしまいたい、
と思っていた。
でも無理だった。


今年に入ってからなぜか
とある本を読み直してみよう
という気持ちなった。
あ、そうだ!腰が痛くなったからだ(笑)

今まで生理痛以外で腰痛になったことがなくて、
初めての2週間以上続く腰痛に
対処法が分からなくて困った。
(腰痛持ちの方の気持ちが少しわかりました)

幸いにも軽いうちに
休養やストレッチ等を始められたので、
今では腰痛になったことを忘れてしまっていたほど(笑)

行動に加えて、思考的にも大事な役割を担ったのがこの本▼
『 人生を変える幸せの腰痛学校』

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E8%85%B0%E7%97%9B%E5%AD%A6%E6%A0%A1-%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%80%E3%81%AE%E7%97%9B%E3%81%BF%E3%81%AF%E6%B6%88%E3%81%88%E3%82%8B-%E4%BC%8A%E8%97%A4-%E3%81%8B%E3%82%88%E3%81%93/dp/4833421992

この本は「痛み」に対する向き合い方について、
ストーリー仕立てでやさしく教えてくれます。
痛みも普通なら消し去ってしまいたくて、
イライラして辛くて悲しくて、
「悪」だと思われがちなもの。

でも痛みだって、自分の身体が発信してくれる
メッセージの一つで
それはなにかを伝えようしてくれている。


この本の最後の方で、
「あなたの腰痛物語」を書いてみましょう
というワークがあります。

私も本の登場人物の一人になったつもりで
「私の腰痛物語」と「私の恐怖症?の物語」を書いてみました。

【私の恐怖症物語】
●社会人2年目
営業車でお客様を送迎中に広めの溝に車輪を落とす。幸いにも怪我人はなかったが、車の左側をダメにする。
→当時、車の運転に自信がなかったにも関わらず、お仕事なのでしないといけないと勝手に思い込み、無理をした結果。

●同年秋?
後輩が鬱病になり、心配でお見舞いに通うようになる。本人は急にやってくる悪夢や恐怖、不安感の原因が分からず、またどうしていいか分からないと言う。
→話を聞いてあげることしかできず、なかなか解決に至れないもどかしさや自分の力不足さから、「その感覚を分かってあげたい、知りたい」と思ってしまう。

●翌年
友人と遊びに行った帰りに、とてつもない恐怖が襲いかかり、運転困難となる。(詳細はこの記事の最初の方に記載)
→初めての恐怖の発作。「あぁ、この感覚、知りたくなかった。」

●2〜3年間
なるべく運転時に不都合(と思われる)条件を避ける生活。ex)雨、体調不良、カフェイン、助手席に人を載せる、高速道路、トンネル、高いところ、溝、落ちそうなところ、一車線など
それでも恐怖の発作はランダムにやってくる。
→ひたすらに恐怖を隠そう、弾きだそう、追いやろう、打ち勝とう、消し去ってしまいたいと思っていた。でも「発作が起きたらどうしよう、二度となりたくない」と思う時ほどやってきた。(そうじゃないときもやってきたけど)

●翌年5月?
自分と内面と向き合うために日記をつけ始める。さらに、朝活に呼吸法を取り入れ始める。

●6月?
初めて2週間以上続く腰痛に苦しむ。
『 人生を変える幸せの腰痛学校』を読み直す。
→「痛み」に対する向き合い方が変わって、「え、ちょっとこれって、恐怖の方も同じかも!?」と気づく。

●7月初旬
今なら大丈夫な気がして、チャレンジしてみたい気がして、今までずっと避けてきた営業車を使って一人でお仕事に出かける。(しかも事故したのと同じ車)
その営業車に名前をつけて「よろしくね」と話しかけながら行ったら、結構頼もしくて驚いた。長年事故や恐怖の一因をその子のせいにし続けてきたけど、実はすごく運転しやすくていい子だった(笑)「ごめんね、ありがとう」って伝えてあげた。
行きは思いのほかスムーズに行けたものの、帰りは雨!軽い発作が戻ってきてしまった。でも面白いことにワイパーが呼吸法の時に使っているメトロノームのように見えてきて、そのまま呼吸法をやってみたら、通常に戻れた。助かった。

●7月下旬
和歌山に長年どうしても行きたかったところがあって、久々に一人旅。当初は車を使わずに公共交通機関で行くつもりだったけど、やっぱりもっとワクワクできる方法で行きたくなった。見知らぬ土地で車を走らせるのは不安だったしトンネルも多くて長かったけど、4〜5時間問題なく運転できた。和歌山の道は優しかった。しかも、コーヒー飲んでも問題なくて、原因に全く関係なかったことが判明(笑)


その後、営業車をつかう機会がもう一度あったけれど、その時には全くなにも起こらず、スムーズに気持ちよく運転できたくらいだ。

恐怖と戦っていたときは、
「なったらどうしよう!なりたくない!」
という風に、目を背けて逃げてきた。
自分の内面の声を聞いていなかった。

だけど今では
「なってもならなくてもどっちでもいい。
なったときは呼吸法で元に戻ればいい。
内面の声を届けてくれてありがとう。」
という風に、ともに生きていくスタンス。


経験せずに済むのなら、
知らずに済むのなら、
それでいいことなのかもしれない。

でも私は「知りたい」と軽々しく願ってしまい、
普通の幸せな日常生活の合間合間で苦しんだ。

これが〝 恐怖〟が教えてくれた私の物語。


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