きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

普通を捨てたら、軽くなった。でも空っぽになったかもしれない。

社会人になりたての頃、私は普通すぎるそんな自分があんまり好きじゃなかった。
猛烈に好きなもの、情熱を注げるもの、やりたいことを今までに抱けたことがなく、
「なんのために私は生きるのだろう?」と悶々と悩む時間が増えていった。

好きなもの、情熱、夢といったものは、大なり小なりワクワクした気持ちを与えてくれるものだと思う。
私のワクワクへの感度は、大人になるにつれ、鈍くなってしまったのだと思う。

私のワクワクの反応を押さえつけていたもの、
それは次の二つでした。

①他人の意見や評価を気にすること
②自分で自分の可能性を狭める選択をしてきたこと


【①他人の意見や評価を気にすること】

人から嫌われることが怖かった。
自分に自信がないから、他人の意見の方が正しくて、周りの意見に従っておけば安全だと思っていた。
でも、聞く人聞く人意見が違うし、同じ人でも数年後に聞いたら意見が変わってるときもあるから、振り回されちゃうんだよね。

それにどんなに好かれるための努力をしたって、好き嫌いを決めるのは相手。
だから、好かれるための努力って、効果がイマイチ分からない割に、相手に合わせて気を遣う必要があるからすごく大変。
しかも、本当の自分じゃない自分を好きになってもらえたとしても、深い繋がりはできにくい。

それだったら、「これが自分です!」って良いとこも悪いところありのままでさらけ出しちゃって、そんな自分でもいいね!って思ってくれる人と繋がった方が、自分も楽だし素敵なこと。


【②自分で自分の可能性を狭める選択をしてきたこと】

今まで私は「制限つき」の選択をしてきた。

その制限というのは、
・自分でもできそうなこと
・周りに賛同してもらえそうなこと

これは①にも通ずることで、「自分にもできそう」ってこと自体が、周りからの影響をガンガンに受けちゃってる。
だから、とっても狭い選択肢の中からこれかなー?って無理やり選んでた感じ。


この二つのことが自分を苦しめる「常識」を形成してワクワクを遠ざけてきた。

そんな狭くて苦しい常識から抜け出すきっかけとなったのは、判断基準を「良い/悪い」から「ワクワクするか/しないか」にするといいよ、というアドバイス

それから考え方の癖はすぐには抜けなかったけれど、自分の口癖に注目してみたり、迷った時はワクワクする方を選択してみたりと、そうやって、
小さなワクワクの選択を積み重ねてきて、早3年が経過しました。


【ワクワクを選択するうちに変われたこと】
・生きるのが楽になった
・自分を理解してくれる大好きな人達と一緒に過ごせる
・少しずつ自分を発信できるようになった(以前はほかの人の投稿を見るだけだったけど)
・善悪や人からの評価で悩むことが減った
・以前はムリだと思ってたことも、「どうしたらできるか?」と実現に向けて考えられるようになった
・やってみたらできた!という経験が増えた
・肩こりがなくなった(以前は自分に余計なプレッシャーをかけて仕事してたのだと思う)
・自分の気持ちや体調に注意を向けよう、としている
・勝手に作り出した罪悪感を少しずつ捨てている


今は、3年前よりも毎日が楽しい!と自信をもって言えます!!

確実に前進できてる部分については、自分をきちんと褒めてあげて、でもその上で、さらに成長したい、人生をもっともっと楽しんでいきたい、という自分もいる。

今の悩みと課題は「自分の深いところを知る」ということ。

人と話せば話すほど、本を読めば読むほど、新しい情報や考えが入ってくる度に、これもすごい!あれも確かにそうだ!素晴らしい!ってなる。

でもなんだろう、その聞いたものごとに対して、
賛同して理解しているような気持ちにはなっているのだけれども、
なんだか自分の中でうまく噛み砕いて
自分に合うように変換して馴染ませることができていない。

いろんな人の話を聞いたり、本を読んだりすることは好きだけれど、反対に、自分自身について質問されるときや、自分から話題を提供することが得意ではない。

あー、これはきっと自分にきちんと向き合うことをサボってきたツケだ(笑)
よく分からないことをうまく説明なんてできない。

自分のことがよく分かっていないからか、
自分の中身が空っぽのような気がして、
他の人からも、中身のない、つまらない人間だと思われるのではないか?という不安がある。
(これはまだ捨てきれてない良くない考え方の癖)

自分の心の中からどんなことが出てくるのか、これから文字で書き出していくことで見つめていきたい。

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