「えらばなかった道」は
母と長女、ふたりきり。
旅へ出かけた。
記憶の範疇では、初めてのことだ。
母は頑固な人だから、
行きたい場所に、食べたいものに、買いたいものに、
どんなにハードスケジュールになるかと思ったら、
思いの外まったりとゆったりとした旅だった。
まだまだ若いし元気なのだけど、
会う度に小さく、ゆっくりになっていく、
そんな気がする。
コロナ禍でほとんど地元から出ていない母が、
自分から「次女のアート作品を観に行きたい!」
と言ったのは珍しいことで、
都合がつかず次女本人とは会えなかったのだけれど、
それでもせっかくの機会だから、とふたりで行くことに決めた。
頑固だけれど、天然でミラクルに笑かしてくる母。
改札に3回も引っかかったり、
酒粕洗顔フォームを酒粕パックと間違えて泡泡でじっとしていたり、
エレベーターでおじいさんを挟んでしまったり…😂😂😂
宿泊したホテルがとても良いホテルで、
なんと太平洋から出てくる朝日を見ることができた🌅
「わあ〜!きれいだね〜〜!!」
と言いながら空が明るくなっていく様を
じーっとふたりで見ているのは
ほんとうに良い時間だった。
最終日の朝は、朝風呂をしながら、
日の出を待つことに。
…が、暑くなってお日様より早く、
お風呂から出る。
お風呂の帰り、メッセージが書かれた旗が
外でヒラヒラとはためいている。
「えらばなかった道」
と書いてある。
「これもアートのひとつなのかね〜?」
と真正面から見てみる。
すると、ちょうど地平線と重なるところに、
「えらばなかった道」があって、
その後ろがパーッと明るくなってゆく。
アートには疎いが、これには
強いメッセージを受け取らざるを得なかった。
見る人や見るタイミングにとっても
たくさん、違ったメッセージを受け取れるのではないかと思う。
私は、今このタイミングで、母と一緒に見た。
「えらばなかった道」と朝日がちょうど重なった。
ヒラヒラはためく旗から、ちらっちらっと眩しい朝日が顔をのぞかせる。
「あなたが『選ばなかった道』は、本当はこんなに輝かしいものだったんだよ。だからやりたいことを選べば良かったんだよ」
いや、違う。
「『選ばなかった道』は、ないんだよ。あなたはやりたいことを選んできて、これからもいつでも選べるんだよ」
長い間ずっと自分に夢がないことを
母のせいにしてきた。
ちょっとやりたいことを言ってみても
「でもそれは残業が大変なんじゃない?」とか
「それになるためにはツテが必要なんじゃない?」とか
難しいとか、できないとか、と否定され(るような気がし)たから。
いつしか本当にやりたいことではなく、
自分ができそうなことの中で嫌でなくて、
周りからも賛成してもらえるようなことの中から、
将来を選択するようになった。
無邪気に「〇〇屋さんになりたい!」と
いろんな夢を言えていた頃。
今は驚くべきことに、その中の1つの
パン屋さんになっている。
ホワイト会社のOLを辞めてパン屋になって、
1年ちょっと。
そんな今、母と共に2人旅。
今思えば、
選ばせてもらえなかったことはなくて、
たくさんの習い事をさせてくれて、
大学やはじめての就職が決まったときも喜んでくれて、
転職にはちょっと心配してくれたものの、
今ではパン屋さんも応援してくれている。
「選ばなかった道」はない。
いままでも自分で選んできた。
いつでも自分で選べる。
これからも、なんでも、自分で選べる
霧が晴れるとき
心地よい場所にいることが好き。
なにをするというわけでもなく、
ただただそこに居る、ということ。
お日様の差す窓ぎわ
コーヒーの香り漂うカフェ
だれかと出かける時の後部座席
みんなが楽しくおしゃべりしている様子
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先日、念願の山に登頂した。
その山は部活仲間が登っていたけれど、
予定があって私は登れなかった山で、
いつか登りたいとずっと思っていた。
部活のことを思い出すのは、
とても温かい気持ちになる。
みんなで車を乗り合わせて、
試合会場へと向かう。
そんな時の後部座席。
仲間の話をラジオ感覚で聴きながら、
たまにはコメントを返しながら、
目的地へと運ばれていく。
そんな懐かしい日もあったなぁ〜と
たまに思い出して勝手にほっこりする。
そしたら、懐かしいお顔が訪れて、
感激でふるえた。
見えなくても存在していて、
ちゃんと応援してくれていて
会えるんだ!と気づかせてくれた
ほんの最近のおはなし。
笑ってるだけでうまくいく
笑ってるだけでうまくいく◎
今日わたしは、最強の武器というか
必殺技というか
めっちゃ効くお守りというか、
そんな感じのものを手に入れた。
「○○だけでうまくいく」という言葉が
最近身の回りで流行っていて、
なんだかいいな〜と憧れがあったから、
自分にもぴったりなものが見つかって嬉しい。
確かに今まで生きていた中でも、
ニコニコしていれば何とかなる
ニコニコしていれば大丈夫
ニコニコしていればうまくいく
ってことが多かった。
無理をして無理やり笑っていた
そんな昔の過去もなかった訳では無いけれど、
今はそんな笑い方は忘れてしまった。
無理やり笑いましょう
と言っているのではなくて
自分自身に素直になりましょう
まっすぐ向き合いましょう
受け入れましょう
大切にしましょう
そして重たいものがなくなって
ふわっとすっきり軽くなったら
そんなときには笑いましょう。
朝、呼吸法をして心が静かなときには
にっこりと私全体が笑っていることをイメージしましょう。
私全体で笑いましょう。
そうすれば、今日という日も笑ってくれているかのよう。
安らかで心地よいイメージ。
整えて、にっこり。
笑うのに特別な理由なんて要らない。
特別な出来事なんて要らない。
私が笑いたいと思うから笑うだけ。
いつも笑っていたいと思うから笑うだけ。
幸せだから、ありがたいから、笑うだけ。
笑っているから、幸せで、ありがたい、ただそれだけ。
笑っているだけでうまくいく◎
なんか知らんけど(笑)
フツーよりも大切なもの
どうしてそんな分かった風に言うの?
難しいと思うの?
みんな同じに一緒くたにするの?
違うんだよ。
〈 否定される 〉世界から随分と長い間遠ざかっていたもんで、
ああ、こういう反応がフツーか、と少し離れたところで思った。
だれかに何か言われたくらいで、
諦めるなんてそんなの夢じゃない、
という意見の人も多いだろう。
でもその「だれか」の一言が、
ほかのだれかを嬉しくさせることも
悲しくさせることもできるんだ。
何気なく放った些細な一言が、
次へ繋がるきっかけに変わったり、
失う原因に変わったりし得るんだ。
もちろん、そのメッセージを最終的に
どう受け取るか?
は自分自身次第なのだけど。
欲しいものを手に入れるためには、
自分一人の力だけでは不可能で、
その分野に通じている人を頼るのも一つの手。
いくら技術や知識があったとしても、
マインドが違う人にお願いしても、
本当に欲しいものは手に入らないかもしれない。
イメージして、イメージして、イメージし続ける。
本当に欲しいものはなんなのか?を
現実的にとか、集客とか、アクセスとか、資金面とかっていう言葉は、跳ね除ける。
だってそんなの、欲しいものじゃないものは要らない。
能力とか知識とか技術とかはフツーでしかないけれど、
せめて言葉は、笑顔は、
だれかの元気になってあげられますように。