きらっと★ユメミタビ

人生にもっと輝きを。旅、料理、読書、ものづくりなど、日々の体験や想いを綴ります。

スイッチ

それは突然湧いてきた。
1年振りにイベント開催をまたやりたいなーと。

具体的な内容は決めずに、
タイミングやご縁があって
集まってくださる方へ
ワクワクしてこの瞬間からが
もっと楽しくなる空間を作りたいなーと。

だからサブタイトルは
〜私の中のやる気スイッチ〜にした。

スイッチって
やらなきゃやらなきゃって
思ってる時は固くて押せないのに、
ワクワクして楽しい気持ちになると
いつの間にか押されちゃってる。


周りの人も幸せであればいいな、と思う。
大切な人にもささやかな幸せを感じてもらえれば、と思う。


「人を変える」ということについて
大学時代の部活の仲間の言葉が思い出される。


彼女は部員たちを「変えたい、変えたい」と言っていて、
強い意志を持っていた。


結果として私も
彼女に「変えてもらった」人間の内の一人だ。


というより、
彼女に変えてもらったようで、
実は自分自身が変わるためのキッカケを
与えてもらった、
という方が正しいのだと思う。



アニメ『化物語』の中で

「人は一人で勝手に助かるだけ。
誰かが誰かを助けることなど出来ない。」

というセリフがある。


日々の中で、出来事や出会いや言葉や
ありとあらゆる物事を受け取れるかどうか。
そして、それをどのように受け入れるか。



人は変えられない。
人が変われるのは、
自分自身が「変わる」ということを
選択した時だけ。


でも、
「キッカケ」だったら与えることができる。
気づくかどうか、
受け取るかどうか、
はその人次第。


受け取ることができるのは、
いつになるかわからないし、
また別の物事からかもしれない。


もしキッカケになれたら嬉しいな〜
くらいで気楽に構える。
キッカケにならなかったとしても、
みんなが楽しんでくれたらそれでいいかな。



1年振りに主催したイベント。
みんなのためにやっているようで、
実は私のためのイベントになった。


新しい世界へ進む後押しをしてくれた仲間たちに、
前の世界で安定を提供し支えてきてくれた仲間たち。
新と旧の仲間たちが初めて一つの空間に集まって、
ともに同じ時間を過ごす。


1年前なら実現できなかった(させなかった)であろう、
不思議で実りある時間。
ここを経て本当の意味で
新しい世界へ羽ばたく。


ーーーーーカチリ。


スイッチってキッカケのことかしら?
とふと思った。



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愛あふれる卒業式

「私は【夢がないこと】がずっと悩みでした。」

そう卒業のことばを発していく。

今日は私にとっての卒業式。

最近では退社のことを
「卒業」と言うのが流行っているらしい。

私自身、「会社を卒業する」ということばに
違和感をもっていた。

でも今日一日は、
思い出の場所や馴染みの場所に
足を踏み入れる度、
一人一人とお話しする度、
最後のお仕事をする度に、
入社してから5年間の思い出が
次々と思い出されて、
「新入生のころにお花見をして…」
なんて言っちゃって、
すっかり「卒業」という気持ちに
なってしまっていたのだ。

卒業生代表(といっても私一人なのだけど)の言葉では、
号泣して言葉に詰まってしまうものだと
思っていたけれど、
溢れる涙を止めようとしなければ、
出てくるものをせき止めようとしなければ、
伝えたいこともはっきりと出てきた。


まだ私が就活生だったとき、
夢もなくただただ人生迷子の状態で、
「人」だけを頼りにさまよった。

だれかのためになり、
だれかに喜んでもらえることが好きだった。
だから、素敵な人たちの力になれるようなところへ行きたいと思った。

そんな中でご縁あり出会った会社。
「就活はしばしば恋愛に例えられる」
と耳にしたことがあるけれど、
私の場合はまさにそうだった。

面接をしてくださった方の人柄に惹かれ、
社内で楽しそうに働かれている方々の人柄に惹かれ、
「こんな素敵な会社の皆さんと
私も一緒に楽しく幸せに働きたい!」
と強く思った。

今まで
だれかを喜ばせる仕事
→お客様を喜ばせる仕事
→接客業や営業職
だと勝手に狭く考えていたけれど、

総務部長の
【総務のお客様は社員】
という言葉にピンときて、
こんな素敵な人たちに
喜んでもらえるお仕事なんて最高じゃないか
って思った。

特に、その会社に惹き込まれていく
きっかけとなった面接官には、
良くも悪くもロマンチストな方なのだけれど、
「想い」「未来」「夢」
その口から紡ぎ出されていく言葉に魅了されて、
「あなたに総務部を任せたい!」
と言われた時には完全にノックアウトだった(笑)

今思えばまんまと落とされたのかもしれないけれど、
それでも一緒に作っていく未来や希望に、
胸を踊らせていた。


入社当初は、小さなことでも
「人の役に立てることってこんなにも楽しいことなんだ!」
って素直に喜ぶことができていて、
同期や一緒に働く会社のみんなもいい人ばかりで、
毎日が楽しくて幸せだった。

でも、現実が積み重なっていくうちに、
夢や希望といった
未来に対するワクワクが薄れていき、
強い想いを維持できなくなった。


いつしか勝手に拗ねていた。
自分勝手に「どーせ」、「〜してくれない」と決めつけていた。


そんな中でも救いだったのは、
いつも人に恵まれていたこと。
優しい人達に囲まれて、
その人達のためなら頑張れた。
応援できた。

また、採用活動のお仕事を通じて、
学生さん達と関わらせていただけたことも幸運だった。
未来に向かって輝いている、
その姿を見るだけで、
無条件で応援したくなった。


こうして大切な人たちを応援しているうちに、
私も本気でなにかやりたいことを見つけたい、と思った。
初めはどう探したらいいのか見当もつかなかったけれど、
身近な人を応援しているうちに、
笑って楽しくおしゃべりしているうちに、
小さな楽しいことを積み重ねていくうちに、
ついに自分自身の夢を持つことができた。

答えは探しに行かなくても実は自分の中にあって、私はそう、
心地いい理想郷をずっと追い求めている。

でもそれは100%完璧な状態じゃないかも
しれないけど、
常に自分とともにあって、
自分次第でより理想へ近づけることができる。


夢がないこと が悩みだった。
夢を見つけて 嬉しかった。
夢を隠して 苦しかった。

夢を言えて やっと息ができた。
そしたら、
夢を応援される という奇跡が起こった。


「どーせ」否定される、反対される
きっと賛成「してくれない」
と決めつけていたものが、
感謝や感動、愛に変わった。


かつて「未来」をともに夢見た面接官。
なんと言われるかもっとも恐れていた相手の一人。

パッと最初に発せられたひとこと。
「応援します」


胸が熱くなり、涙がこぼれ落ちそうだった。



「人に恵まれている」
そう思っていながらも
どれだけ恵まれているのかを
受け入れ切れていなかったかもしれない。

遅くなってしまったけれど、
卒業の日が近づくにつれて、
いろんな愛にちゃんと気づいて受け取れるようになって、
やっと、卒業の日に100%の愛を感じることができたような気がする。
こんなにもみんなが愛してくれていて、
こんなにも私は愛されていたんだと。

決めつけ、の反対は信じることかもしれない。
自分自身を守るために、
「どーせ」「〜してくれない」と決めつけて卑屈になって、
それでも本当は欲して求めていて、
心が苦しんでるという現状があって、

でも本当はこんなにも愛が溢れているのに、
自分がその愛を受け入れられていないだけだった。

相手を信じ、自分自身も信じる。

少しずつ練習していこう。


ありがとう。


おめでとう。



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応援を受け取る

「勇気とは自分の本音に素直になること」

この一文は
『 パズルの法則』ひすいこたろう×吉武大輔
の中に書かれていた言葉だ。

自分の本音としっかり向きあって覚悟を決めて
勇気を出して前に踏み出す。

変化を嫌うのは人間の本能的な部分もあるから、
最初はびっくりされて、
諭されたり否定されたりすることもしばしば。

それでもしっかり覚悟を決めたあとならば、
自分自身を裏切らない。

あとからきっと周りもついてくるのだ。


最近気がついたこと。
一部の人を除いて夢は否定されるのが普通だ
と思っていたけれど、
いざ行動に移してみると、
意外とたくさんの人が応援してくれる
のだということ。

最初は否定的だった人も、
知らない内に応援側に回っていたりもする。

もしかしたら、私自身が
「否定される」というフィルターをかけて、
周りの人を見てしまっていたのかもしれない。
実は応援してくれていた人は
最初から思ったよりも多かったのかもしれない。


こんなにも、応援していただける、
ということへの驚きと感謝。

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ルール

【 ルール】
規則、規定、きまり。

私にとってルールって一体なんだろう?


学生時代、OL時代の私にとってルールとは
・守るべきもの
・破ると怒られる
・時々何のためにあるのか分からない(ものもある)
・守るのがめんどくさいもの
・ルールに対する賛同者と批判者ができてめんどくさい
・守ってくれるもの、楽をさせてくれるもの
だった。


今までルールがあるのが当たり前、
ルールを守るのが当たり前、
なんなら自らもルールや締切を定めて、
「私は事前にアナウンスしてますからね」とか
「こう決めたので、守ってくださいね」とか
仕事を早く片付けやすいように、
なにかあった際に自分に非がないことを
主張できるようにしてきたとも言える。


それが今現在、
ルールの少ない世界で生きている。
最初は本当に不自由だった。
良い/悪いを判断するための基準がなくて、
ルールがなかったらほとんどのことが
悪い方へいってしまうのではないかと恐れた。

自分の中で勝手にルールを作って、
自分で勝手に守って、
守ってない人たちに対して
「私はこうやってるのに、
みんなはやってくれない!」
と心の中で勝手に非難した。
(そもそもルールは公言してないのに笑)


そんななかでも生活を続けていくと、
ルールのない世界に順応していくものだ。

今までは、✕を取り締まるためにルールを作っていた。

前の世界の人から、
「これはこうやってきちんとルールを決めた方が良いんじゃないですか!?」と言われた。

以前の私なら、疑問を持たずに賛同してきれいに整えていた。

でも、今の私は
「あ、ルールを作るから‪✕‬も生まれるんだ」ときづいた。


ルールがあるから、〇と✕が生まれる。
ルールがなかったら、ほとんどのことが〇になる?
いや、〇も✕もなくなるのかもしれない。


それは一見、自由でゆるくて楽しそう。
もしかしたら厳しくて難しいのかもしれない。
その世界でどう生きるのかは自分次第。


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嫉妬から見えるもの

「どうしてわたしはあの子じゃないの」

なぜかその言葉が気になって手にとった。
絶対ドロドロしたお話だとは分かっていたのに。

他人を羨やむ心
誰かに嫉妬する心

自分を他人と比べてしまうから生まれる気持ち。
気づかされてしまう自分自身の汚さ。


自分のフィルターを通して相手を見ると、
(無意識に)自分が見たいように相手を見る。
というより、色々ある中のとある一面を見る、と言う方が良いだろうか?


「自慢」と「嫉妬」って実は繋がりがある気がする。
自慢があんまり好きじゃない。
自慢ってなんだか悪いような気がする。
(本当は、良いも悪いもないことは頭では分かってる)

そもそも自慢ってなんだ?

人のハナシが自慢に「聞こえる」とき、
心の中で嫌だなって気持ちが戦ってる。
すごい、と思いたいことを素直に認められないでいる。
その人と自分とを比べて、
持っていないもの、
できていないもの、
足りないもの、
「ない」を見て勝手に妬んでいる。


それでも私そのものでしかない。
どんな気持ちもそのまま受け入れていくと、
本当の気持ちが見えてくる。
嫉妬ってもしかしたら、
ほしいものを手に入れるためのサインかもしれない。



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『どうしてわたしはあの子じゃないの』寺地はるな

自分フィルター

先日、「シフトチェンジのコツ」というテーマで
オンラインホームでライブ対談をさせてもらった。

後からその配信を聴き直してみると、
一緒に話してくれている相手の声はもちろん、
話している自分自身の声も
聴いていて心地よかった。
リラックスしていて、自然体で、
良く見せようとしてなくて、
ありのままの自分だった。

対談のペースは結構ゆっくりで、
気まずくない、
自然な感じの間がたっぷりあった。

じっくりと感じて、
自分というフィルターの中を
きちんとしみ渡らせて
しっくりくる言葉を引き出すための
時間があった。

話している内容や答えている内容は
本当に平凡なことだらけ。
だれにでもできることを
小さなことから色々とやってみて、
それを積み重ねていったら、
徐々にシフトチェンジできたよ、
結果としてこうなれたよ、
といったお話。

その小さなワクワクを積み重ねながら、
自分自身と向き合っていく過程の中で、
自分の中では大きな事件もあったんだよ、
ってことまで津々浦々と。
とはいえ、死にゃあせんことなんだけど(笑)


「なにか」があったとき、
その「なにか」は自分というフィルターを通る。

スっとかすって出ていくのか、
中に溜まっているのに気づかないフリをするのか、
溜まりすぎて中の様子を分からなくしてしまうのか…


「書く」ことは、自分の内面と向き合うために
最も有効な手段のひとつだ。

書くことで、なにかがあった、ということを
知らんぷりしないようにする。

書くことで、「なにか」に対して、
「私」がどう感じているのか、
を正直に見る。

書くことで、自分の中の
心の揺れを感じながら、
心地よい方へ行けるようにと
未来を切り拓いてゆく。



半年以上前にも同じような
ライブ対談をさせていただいたことがあった。
その時は、「やめる」ことについて、
質問して色んな回答やアドバイスをいただいた。

すごく好きなことや気が乗ることではないけど、
嫌なわけではない。
そういったことをどうしたらいいか?
やめるべきか、切り離すべきか?
どういった基準で?
といった感じで。

▼その時の記事はコチラ▼
気持ちは判断基準になる!シフトチェンジ★
https://kirarin87suke.hatenablog.com/entry/2020/06/21/223802


あの頃の自分と比べてどうなのか?
あの頃の自分はどう考えてたのか?
ということが気になって、
こちらも続けて聴き直してみた。


最近のライブ対談が
心地よく聴けたのと正反対で、
こちらは聴いていて
恥ずかしすぎて地獄だった。
ひとりで赤面。
イヤホンを外したくなった。
(というか最後までは聴けず外した笑)


なんだろう?
自分自身の笑い声が気に障って、
笑って誤魔化すんじゃないよって。

物分りの良すぎる
「わかりました」や「はい」がたくさん聴こえて、
本当にスッキリしたの?って。

せっかく教えていただいたことを
「それってこういうことですか?」
「聞いたことある!経験したことある!知ってる!」
と自分流のアレンジを加えて、
そのまま受け入れてなくて。


私という存在をすごいと思われたくて、
良く見せようとしていた。


良く見せるための私という
トンネルみたいな大きな抜け穴があって、
起こった物事に対する
「私」はどう感じてるのか?が希薄で、
物事はほぼ素通り状態だった。



コーヒーをいれるときに
最初にちょっと蒸らしてから

ポタ

ポタ

ポタ



とゆっくり時間をかけて
入れる方が美味しいように、


自分いうフィルターも
物事がおいしくなるための時間が
必要なのかもしれない。








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澄み渡る

オンラインホームのみんなと早朝の呼吸法。
深く深く、穏やかであたたかく、にっこりと。


そのまんま穏やかで
でも、やってみようという前向きな気持ちで、
とある場所へと歩みを進めた。

はじめての場所はやっぱりワクワクする。
自分の足で感じてみたかった場所へ。


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いつか行ってみたい/やってみたいと
思うことはたくさんあって、
溜めてしまいがちなのだけど、
できることから、気分が乗ったものから、
ドンドンやってみればいい。
思ったが吉日。
思った時がベストなタイミング。
寝かせておいて
上手い具合に熟成する時もあるけれど、
寝かせすぎて傷んでしまうことも多々。


やってみたら意外と簡単。
そういうことも多々。
やらなくていい言い訳作りが
得意にならないように。
どうしたらできるか?
どう楽しもうか!?
のマインドでいられるように。


その場所は、
色も、空気も、声も、
ただひたすらに澄んでいて、
広く大きなその真ん中で、
かすかに振動を感じながら、
一歩一歩と踏みしめる。


ふわりと宙を歩きながら、
確かに今ここにいるんだなぁと
感じながら。

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